motoさんが提唱された【軸ずらし転職】
従来からあった”職種は変えずに業種を変えて年収を上げよう”という転職手法にピタリとはまる名前を付けた点、且つmotoさんが軸ずらし転職によって華麗なる実績をあげられたという事も相まって勢いのあるワードになってますね。
motoさんに力説されている点は『まず本業での成果を出そう』です。
本業で成果を出した後での転職は給料が上がるだけではありません。
成果を上げ、自分の自信を付けることでよりチャレンジングな挑戦をすることができます。
すなわち【成果を上げる】ことは自信がつき【自己肯定力】も上げることができ、より上の目標にチャレンジできる勇気を持てることになるのです。
最初に -本業で成果を出して自信をつける‐
私自身12年前の2008年に転職をして現職の商社営業に就きました。
前職は広告メディアで一時期リクルートにも所属していました。
営業職自体は変わりありませんが、以下のような経歴を歩んできました。
地方中小メディア会社x営業(個人事業主向けC to C 営業) 1年半
リクルート/ホットペッパーx営業 (個人事業主向け C to C営業) 4年
大手企業グループ商社x営業 (法人・官公庁向け B to B営業) 12年目継続中
もう18年近く営業職をしている事になりますが、メディア会社同士でも営業スタイル自体は色合いが異なります。
そして法人向けになると当然ながらまた違います。
しかしながら、すべてに於いて自分を自信つけるのきっかけになったのは『本業の成果が出た事』であるのは間違いありません。
成果が出ない不甲斐ない期間も当然ありました。
ビハインド期間が長ければ長いほど鬱屈とした期間を過ごしますが、成果が出始めるとそこから見事なV字曲線も描きます。
なぜ個人事業主向けの営業しかして来なかった私が法人向けのB to B営業にチャレンジしようと思ったのか。
それは自分に自信がついていたから。
結果的に自分とは縁がない考えていた身持ちの堅い業界への転職活動に繋げることになりました。
今回はその体験談(社会人としての履歴書)を紐解いていきたいと思います。
1社目 地方メディア会社 ‐自分ってこんなもんか!?‐
2003年4月にメディア会社に営業として新卒入社しました。。
中途入社の社員や同年代の契約社員が同じ4月に10人ほど入社するなか新卒採用による入社は自分一人。
期待の表れをヒシヒシと感じ入社に関しては目立ったデビュー。
ただし初年度はコレといった目立った業績を上げることができず、、、
翌年3月に発表される表彰発表の場、最優秀新人賞は年下の女性契約社員の手に渡ることに。
不甲斐なさも感じ、改めて自分を見つめなおし仕事への取り組みを考えるきっかけにもなりました。
【こんなもんじゃないだろ】と
先輩からの助言ももらいながた自分で出した営業企画もヒットし始める。
そして地道な新店へのアプローチと日々の件数にこだわった営業活動を続け、2年目からは月次のノルマを連続達成。
営業部長から直接褒められるなど、周りの見る目も変わってきたことを感じます。
この頃は自分自身も調子に乗っており、有頂天状態に。
好事魔多し。そんな時にやっちゃいました。
夏にかけて個人的な不祥事を起こしてしまい、運転免許が取り消しに。
「あー会社クビかもな…」
当然そんなこともアタマによぎり2週間の謹慎期間で頭も冷えてくる中、会社は復帰の機会を与えてくれました。
復職の舞台は事業提携していたリクルートのホットペッパー事業部。
徒歩や自転車で営業するので運転免許が不要だった点もこの部署が選ばれた理由でした。
2社目 出向でリクルートへ ‐リクルート精神を学ぶ‐
『自分ならどうするか』を常に考えさせらた4年間でした。
- 起業家精神
- 圧倒的な当事者意識
リクルートの企業精神としても有名ですよね。
特に当事者意識については徹底的に鍛えられました。
ホットペッパー【美容領域】でしくじる
2003年8月、ホットペッパー事業部への異動。
リクルートが展開するホットペッパーは2000年に創刊され、松山は2002年8月に発行。
【美容】と【飲食】が2本柱で当時はまだネット展開もなく雑誌のみの展開でした。
ただこの雑誌があっという間になくなる事もあり、当時のCMと相まってクーポン付きフリーペーパーのジャンルは脚光を浴びる存在でした。
当然【飲食】領域の営業を任されると思っていたところに任せられたのは【美容】領域。
いわゆる美容室への広告営業です。
ちょうど松山でも2年目、そしてCM効果もありホットペッパーも認知度が行き渡っていた時期。
当然”クーポン付き店舗紹介”というビジネスモデルに着目した競合他社が安い広告料で攻めてきます。
比較もされやすい時期。「リクルートさん高いよね」という声も多く、元々飲食店が強いエリア。
美容室は基盤が強固でもない中、強豪との取った取られたの展開でした。
”年間契約を基本とするリクルート”としては歯がゆく満足いかない状況。
なかなか伸びない業績、ほかのスタッフからも徐々に仲間外れにされる雰囲気を感じる疎外感。
異動時に『やってやるぞ』という満ち足りていた自信がボロボロと崩れていきました。
社内評価も悪いこの最中、私を支えてくれていたのは”顧客からの期待エール”だけでした
「君が担当だから出稿している」
「しっかり提案してくれるから助かる」
顧客のエールに支えられ美容室営業の1年間を過ごしました。
この時、猛烈に感じたのは
【会社の魅力ではなく、自分の魅力で実績を勝ち取る必要がある】というもの。
ホットペッパー 【飲食】領域でぶっ生き返す
適材適所を感じる
1年後、当時の編集長からの「ラストチャンスだと思え」とキツイ一言で【飲食】担当に変更。
もともとやりたかった『飲食』そして『美容』時代に字義腰部の力になれなかった悔しさ。
もうガムシャラ。めっちゃガムシャラ。
そしてやはり水が合っていた。
片っ端から新規受注、そして継続受注を得ていきます。
リクルート社員への反骨精神
そして何よりこだわったのはリクルート社員に業績で負けないこと。
何店舗も所有する地元大手顧客や全国展開の顧客は本社からリクルート社員に割り振られます。
外様から来ているからしょうがないとは言え、圧倒的な不利。
だが自分は後がない、逃げ場がない状態。
飛び込みキャンペーンや顧客からの紹介も生かしました。
最終的なピークは1ヶ月あたり担当顧客60件売上500万超え。
(当時の1か月の部署の売上が2,000~2,200万)
数ヶ月その業績を上げ部署内では断トツの業績を達成しました。
そして、このリクルート社員よりも業績を上げた点は大きな自信にもなりました。
この頃からでしょうか。
【自分で自分をよく褒めるようになった】のは。
残業時間の短縮に挑む
当時は遅くまでの勤務が日常的でした。原稿作成時には24時ごろまでかかることもしばしば。
残業代はみなし残業として固定額支給なので残業代としての旨味はありません。
長く働けば働くほど自分の時間価値が下げることになる。
このあたりに嫌気がさしていた私は効率化に励みます。
顧客へのヒアリングと細かな訪問はそのままにまずは夜の連絡をしないようにします。
そして日中、比較的早い時間を狙って打ち合わせできる時間を作るようにします。
その分、その日の間に訂正が入れば即修正してチェックしてもらいます。
プロが撮影する写真も顧客との相性を考えながらなるべく任せられるように段取り立てます。
そんな取り組みを続けているうちに一番多い担当件数を持っているにも関わらず一番早く帰れるようになっていました。
繁忙期でも20時ごろには帰れていたのではないでしょうか。
この時の気づきとして【自分の時間は他人に委ねない、自分で作る】というもの。
圧倒的な当事者意識を持つ、というリクルート企業精神を自分へのフィードバックとして得たものでした。
転職のきっかけ 大企業と中小企業の差を痛感する
仕組み化=ルーチンワーク ‐仕事に飽きる‐
転職前の1年間はもうほぼ仕組み化が出来ておりルーチンワークでした。
顧客の多少の増減はあっても業績は達成して当たり前。あまり自己成長を感じなくなります。
ほかの拠点に変わればまた1からのスタートでやりがいは出てくるのだとは思っていました。
だが出向社員の手前、リクルート社員と違って転勤はない。
ほかの場所で働きたいなぁと。
一方で出向を止めるという選択肢もありましたが、リクルートの会社として社員にかける教育や営業組織としての強さを知るにあたり、地元メディア会社への魅力は薄れていくのでした。
給与体系の違いを感じる
また当然ながら給与体系についても大手は強いなぁと感じていました。
リクルート社員と一緒に働いているとよく分かりますが当然彼らの方が羽振りが良いです。
その恩恵にも預からせてもらいましたが、大手と中小は違うなぁと大きく実感したところ。
同じ営業という職種であっても会社で違えば給与体系も違う。
同じ内容の仕事をしているにも関わらず、こんなにも差が出るもんだなと思った次第。
今でいう【軸ずらし】を考えます。
東京本社と愛媛本社だったら給与金額に差があっても当然ですよね。
それもあってこれはそろそろ転職だなと。
転職ツールはリクルートエージェント
転職活動にはリクルートエージェントを使いました。
リクナビNEXTも転職市場では当時から有名でしたが、認知度の低かったエージェントにしました。
理由の1つとしては希望職種は営業と決めていたから。
営業の仕事で他業種でどんな会社があるのかを知りたかったというのが理由。
雑多な職種があるリクナビNEXTよりも面談等で思いも告げられるエージェントの方が自分の希望に近しいところも選択肢にいれてマッチングしてくれるんじゃないかと考えました。
そしてもう1つは大手企業の数が多いのではないかと想定した点。
意外と大手企業でも地方に社員を求めている可能性は高いんじゃないかと。
3社目 大手企業のグループ会社(現職)
広い世界を知ろう ‐ダメもとでのチャレンジ‐
リクルートエージェントの希望ジャンルでは商社を希望しました。
もうCtoCの個人事業主営業はやり切った。だから次は法人相手の営業を試したいと思ったからです。
気付かぬうちに軸ずらし転職です。
リクルート内で業績を上げていたことで自信もついていました。
数社候補のあった商社の内、これまでの自分に一番縁遠い、それでいて誰もが名前を聞いたことのある会社を受けてみようと思い立ったのです。
同じような業態の会社よりもアタマ一つ抜けて福利厚生も良い点も魅力でした。
その一歩を踏み出すか踏み出さないかは自分の心持ち次第。
よし、とりあえず受けてみようと思い立ったのでした。
面接にあたっての武器 ‐直前の業績を開示‐
最終面接、幹部へのPR材料としてその月に発行されたばかりのホットペッパーを持参しました。
自分を知ってもらうには手っ取り早い業績です。結果が雑誌になっているのですから。
面談してくれた役員もおもしろいと思ってくれたのか、話が盛り上がり、なんとその場で口頭内示。
そこで感じたのは転職する前の本気度はよく見られているということです。
新たに雇用するときのチェックポイントとして【本気度】があります。
雑誌を見せるという手法は斬新かもしれませんが、自分のここまでの結果です。
この雑誌の広告料の1/5は自分の顧客です。
雇用先からみると「コイツはけっこうやるんじゃないか」と魅力的に感じたのではないでしょうか。
結び -成果を出して自信をつけてから転職活動に臨もう-
結果、2008年9月で前職を退職し、10月から現職として勤務し始めます。
家族を養っていくうえで欠かせない年収も転職後1年で60万円アップしました。
【軸ずらし転職】の真骨頂ですよね。
今では変わらぬ地方勤務でありながら国家公務員の平均年収と同じ程度の給与を得ています。
ちなみに今の会社からの転職を希望しているか、と問われると希望していません。
なにが現職場の魅力かというと常に新しい情報を得られる、自分の販売したものを通して社会の役に立っているという実感を抱ける、といったところでしょうか。
新しい情報が得られ、それに伴う製品も多いので常に製品がバージョンアップされます。
なんだかんだで仕事に飽きが来てないという点が大きいですね。
兎にも角にも【本業で成果を出す】という事が好影響に結び付いています。
こんなところで私の社会人生活の今までの振り返りを閉じたいと思います。
『広い世界を見ろ、そして自分で決めろ』
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