【365日のCut Out】ひいおじいちゃんの最後の授業

祖父が95歳で永眠しました。

デイサービスを利用することはあっても基本的に家でずっと過ごしてきた祖父は近隣で過ごす私たち家族にとっては身近なおじいちゃんらしいおじいちゃんでした。

寝たきり生活になることもなく、デイサービスから「食事を食べないので入院させた方が良いかも…」と連絡を受けた数日後に入院した病院で逝去しました。

最後に肺炎を患ったようで死因は肺炎となりましたが95歳はまさに大往生。

そして私にとっては子どもの成長していく様と共に祖父の弱くなっていく様はまさに『老いていく過程』そのものでした。

成長と衰退

当たり前の相反する二つの事象を知らず知らずのうちに体験していました。

90歳を超えるあたりからは老いも顕著になり、3年ほど前に足を骨折してからは徐々に動きが少なくなり、歩くのも少し辛そう。

見た目からも『老いてきたなぁ』と感じてきました。

それでも『100歳までは生きるからな』と目標もあり生き甲斐もありました。

習慣として毎日の日記を付けていたことや新聞を読んでいた事も元気の秘訣だったのでしょう。

出会うたびにじいちゃんは私に日記を付けていることと新聞を読んでいることを報告してくれ、だから元気なんだよと言っていたものです。

また配偶者が無くなると特に男性は弱ると言いますが、祖父は違います。

祖母の死から25年以上経ちますが、亡くなる間際まで衰えたとはいえ言動はしっかりしており、父や母にも言葉の応酬ができるほどでした。

そんなじいちゃんんは、会うたびに曾孫たちの頭を撫でてくれて「かっこちゃんになれよ」といつもエールを送ってくれていました。

※かっこちゃんは『賢い子になれよ』のじいちゃんなりの言葉です。

そして、曾孫それぞれの名前を呼びながらしわくちゃになった節が目立つ手で大きくポンポンと。

子どもたちも実家に帰省した時の1つの儀式的な感じでポンポンを楽しみにしていました。

 

10歳になる娘が葬式が終わった後にこんな事を言ってくれました。

「ひいおじいちゃんが死んで悲しいけど、私たちに最後の授業をしてくれたよ」と。

娘にとっては初めてのお葬式でした

葬儀の役割で奠茶(てんちゃ)の役割を担って列を先導しました。

火葬場ではお骨も拾って骨壺に入れました。。

四十九日をかけてゆっくりと極楽浄土に向かう事も知ります。

ひいじいちゃんの死がないと知りえなかった貴重な経験をしたことを彼女は最後の授業に譬えたのです。

私も得難い経験をしました。

父と共に菩提寺となるお寺に行って通夜・葬儀の相談。

そして戒名にかかる費用やお坊さんへの手当など現実的なやり取り・打合せ。

 

おじいちゃんいろんなことを教えてくれてありがとう!

中学生に時の休みの日に2人で行った瀬戸食堂のから揚げ定食楽しみにしていたよ。

カブの後ろに乗せてくれたこと。

23歳の時の不祥事を真剣に怒ってくれたこと。

1つ1つが大事な思い出です。

 

そして何より曾孫となる子どもたちに貴重な最後の授業をうけさせてくれてありがとう。

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